2018年10月14日日曜日

登別伊達時代村 その4 2018/09/17



登別伊達時代村 その4


観劇ゾーンを抜け、村の一番奥、
片倉小十郎屋敷に到着

片倉小十郎景綱は伊達政宗の右腕として使え
慶長7年白石に拝領。その後代々270年間居城。

明治になり片倉家家中が登別へ移住し
開拓にあたったのだとか

敷地内の枯山水蓬莱庭(かれさんすいほうらいてい)
蓬莱とは中国の道教の流れを汲む神仙思想で

仙人が住むとされた仙境の1つ。
やがて蓬莱庭と呼ばれる庭園の一様式が生まれたとの事

蓬莱式の枯山水(水を用いずに石組みや砂で山河を表現した庭)は
小砂利を大海に見立てた「天橋立」や

3つの神仙島「蓬莱」「方丈」「瀛州(えいしゅう)」を配している

敷地の奥は落ち着いた日本庭園で

お屋敷の中は刀資料館と


時代劇撮影所となっている

まずは刀資料館から。
入り口の前に置かれた甲冑

兜には城の鎮護と防火の神様、
愛宕大権現守札(あたごごんげんまもり)が。

古今著名刀匠国別一覧の地図

五ヶ伝。日本の刀作りの5つの流派。
山城伝(京都)大和伝(奈良)備前伝(岡山)相州伝(相模)美濃伝(岐阜)があり

各流派の特徴は写真の通りとなっている

刀の各部分の呼称

刀の地肌(鋼を折り返し鍛錬する事で表れる刀身の地の模様)や
刃文(焼き入れを行う際に現れる刃の波模様)

茎(なかご)(に被われる部分)等の解説

お次は刀の歴史の展示
各時代に必要とされた刀の移り変わりをご紹介

平安時代:歩兵戦から馬上戦へと変化した為、
直刀から長く剃りのある湾刀に

鎌倉時代:反りは深く長くなり幅広で重ねが厚く折れにくくなる。
刃文は華やかに

南北朝時代:軽量化が進み、重ねは薄く強度を保つため身幅は広くし
約87cmの大壇段平となる

室町時代前期:「刀」というと打刀(うちがたな)を指すようになる。
地上用で反りは浅く長さは太刀より短い64~67cm。
歴史上初の脇差し(37cm程)が作られ、武士は二本差しが確立する


戦国時代(室町後期):戦乱の世になり刀剣の需要が急増。
数打物(かずうちもの)と称する粗悪な刀が多くなる

桃山時代:豊臣秀吉が天下統一。新刀時代と言われる。
実践に最も効果的である大太刀を腰から抜きやすくする為、
長さは87cmほど、身幅広く元先の差がなく重ねが厚くなる

江戸時代、慶長新刀期:大名家の取り潰しで増加した浪人が仕官を望み剣術が流行。
斬るよりも刺す剣術となり反りは浅く、身幅は広く重ねは厚くなる

江戸時代、寛文新刀期:剣術が一層流行し極端に反りが浅くなる。
無反り(反りが9mm以下)で先幅も短く、刃文は派手になる

江戸時代、元禄新刀期:天下太平の世となり刀工の数は寛文の半分に減少。
華美な刀、技巧的な刃文が好まれる

江戸時代中期、新々刀前期:古刀復元に力が注がれる
地肌は鏡のようになり新刀のように焼き出しはなく
古刀のように元から乱れ刃文が始まる

お次は刀ができるまでの工程の展示

使用する材料や道具を

順を追って図解や写真つきで

わかりやすく展示している。

刀資料館の次は時代劇撮影所。第一の間。
時代劇映画によく取り上げられ愛された武蔵坊弁慶と

「燕返し」で有名な佐々木小次郎

白馬に乗って写真を撮る事もできる

第二の間は長屋の一室。
映像撮影専用のスタジオセット

天井には伊達家の家紋「竹に雀」(仙台笹とも)
正宗が使用した数多くの家紋の中でも特に有名

第三の間は武家屋敷

本日3つ目の甲冑!

以上!登別伊達時代村でした

本日のおまけ:お見送りして下さった町娘さん!